トップ頁 経歴 二代目襲名 歌「私のお母さん」 幼き日の記録
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〜 「私のお母さん」秘話 〜

♪ひとりにしないで連れてって
すがって泣いた母でした
会えたでしょうか父さまに
私の歌うこの歌は
父母の心を歌い継ぐ
聞こえますか 見えますか
一緒に歌ってくれますか
空のむこうのお母さん・・・♪ (「私のお母さん」三番)

何度歌っても、父が亡くなったときの光景がありありと浮かんできて、どうしても涙が溢れてしまいます。
昭和五十九年四月、六月と相次いで、父・霧島昇、母・松原操が亡くなりました。
本当に夢のなかの出来事のようでした。
あんなに健康に気をつけていた父が手術を受けてから十ヶ月で亡くなるなんて考えもしませんでした。
そして母も一ヵ月半後に亡くなってしまい、私の人生で最もつらい時期でした。
親を失うことがこんなにも悲しいこととは・・・。
結婚もして、これから親孝行をと思っていたときでしたのに、本当に残念でなりません。
亡くなる前年、体調を崩した父は六月二十七日、自分の誕生日に手術を受けました。
手術前、ストレッチャーに寝かされ病室で待機しているとき、父は突然、発声練習を始めたのです。
自分の誕生日が手術日となり、「また、生まれ変わるんだ」と言っていた父。
再起を確信し、少しの間も惜しんでの発声練習だったのか、あるいは不安を消すためだったのか、どちらにしても父の歌への執念に圧倒される思いでした。
父は健康には人一倍、気をつけていました。
煙草は吸わない、お酒も制限し、毎日の体操、ジョギング、栄養剤・・と歌を支える健康のため、あらゆる神経を使っていたのです。
その父が病魔に侵されるとは、信じられない思いでした。
母は晩年、病気がちでしたが、その母をおいて先に父が逝ってしまうなんて。
父が危篤状態になったとき、母は別の病院に入院していましたが、かけつけて父の最期を看取りました。
臨終のとき「パパ置いていかないで、私も連れて行って!」と白い割烹着姿で少女のように泣きじゃくっていた姿が脳裡にやきついています。
それから一ヶ月半、母も後を追うように亡くなりました。

♪あなたの匂いがぬくもりが
 今日もほのかに香ります
 優しかったまなざしに
 あなたの人生偲びます
 あの日着ていた着物きて
 聞こえますか 見えますか
 一緒に歌ってくれますか♪
 空のむこうの 私のお母さん♪ (「私のお母さん」二番)

子供の頃、そしておとなになってからも、つらいこと悲しいことがあると、私はよく母の胸に顔をうずめました。
すると母は私の頭を撫でながら子守唄を歌ってくれるのです。
そうするとつらいことも悲しいことも一瞬で消え去ってしまいます。
そのときの母のぬくもり、母の匂い・・・。
つらいことがあると、今でもふっと想い出します。

♪あなたが歌ったこの歌を
 今日もわたしは歌います
 好きな歌をやめないで
 あなたはずっと歌うのよ
 私に残したひとことでした
 聞こえますか 見えますか
 一緒に歌ってくれますか
 空のむこうの 私のお母さん♪ (「私のお母さん」一番)

母は亡くなる数年前から「お前は絶対に歌をやめてはいけない」そう言い続けて亡くなりました。
大変決断力のある母でしたので、昭和二十三年、三十七歳で子供のためと潔く引退するときも、全く後悔はないものと思っていましたが、やはり好きな歌をやめることに、大きな苦しみと後悔があったのでしょう。
母は、今も歌をやめずにそして偶然母の引退した歳と同じ三十七才の頃から、導かれるように両親の歌を歌っている私を、喜んでくれているでしょうか。
あるとき、「子供が生きていくということは、親が生きていくことでもある。親の魂を生きつづけさせるには、子供が生きつづけなければならない」という言葉に出会いました。
「そうだ、両親の足元にも及ばない私の歌だけれど、私が歌うことで、両親の歌の魂だけは生きつづけさせるこが出来るのかもしれない」両親の歌を歌うことに大変ためらいがあった私にとって、背中を押してくれるような言葉でした。
四年前「霧島昇・松原操 逝いて二十年〜父母の思い出」として両親への気持ちを全国なつメロ愛好会の会報に掲載させて頂きました。
それを読まれた埼玉県の「上尾歌声広場」という童謡や抒情歌を歌う会の代表、藤原美保子さんがその文を詞にして下さいました。
ご自分のお母様への思いも重ねて、書いて下さったようです。
その詞に横山太郎さんが曲をつけて下さり、「私のお母さん」という曲ができ上がりました。
コンサートのアンコールでいつも歌わせて頂いていますが、その度に涙でお客様のお顔が見えなくなってしまいます。
この歌には、両親への私の気持ちが詰まっています。
そして歌う度に両親が私のもとに来てくれるのです。
お創り下さったお二人に心から感謝しております。
生涯歌い続けていく大切な大切な「私の心の歌」となりました。